ミヤタ仮骸骨

面白いと面白くないを、交互に気が付いてしまう周辺記録。
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そこから動かないようにと思っても、
正確にはそうならない。
ぶれている。
それが伝わっている気がしても、
動いて無いフリをする身体が気持ち悪い。

そのまま。
そのまま。

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衝動の落語 を考えるの心だ

JUGEMテーマ:ファッション

衝動の落語

イベント『衝動の落語』に出演させてもらった。

20分ほどなんらかお客さんの前で話すという
そういう機会である。
普段別段そういうことをやっていない人間が、
人前に晒されてただ座布団の上に乗っかっている、もしくは
向いている方向が一人だけ違うというそういう機会。

落語という形式や雰囲気を0から立ち上げようという試みというか、
お祭りの様なものである。
なんかお喋りして盛り上がるみたいだから行ってみようぜ、というそういう感じだ。

この会の面白い所は、喋り手が易々とギブアップできるという仕組みだ。
話し手が喋っているちょっと離れた横に待機した
会のコンダクターともいえる紅緒氏が、
原則一人喋りである落語家(として出ている人)に
しばしば声をかけるのだ。
「面白い!」「よっ本格的」「決まった!」「もう大丈夫だよ」
それは素人の話し手を勢い付けるものであり、
お客さんへのガイドでもある。
そして更に、聞く方も話す方も「ちゃんとしなくちゃいけない」
という固定観念を捨てろ!、というメッセージでもある。

数日間かけて、
紙に書いて覚えるなり、携帯にテキストを要旨をまとめて覚えるなり、有名な人の落語CDを買うなり、youtubeを見るなり、自身の体験を回想したり、
様々な過程を経て、落語らしきものが演じられるわけだが、
「落語らしき」ということはつまり、
落語だけでない全方位的な楽しい時間と戦っていこうよという風にも考えられる。
別に落語が偉い訳じゃない。むしろ落語という形式の懐の深さ(「衝動の落語」では多くが着物を着てた中、パーカーを着て登場し、歯医者でも何でもないのに自分の前歯をハンドメイドで作っているという話をした人もいた)をすげえと思わせられるメッセージではないかなと、感じてしまう。

この会の落語は、ひとつの「自己紹介だ。」と感じている。
観たお客さんは、口から先に出た話の意味以上に、
話した人間の何かを読み取ってしまうだろうと思うのだ。
直接的に説明やらその人らしい噺を選ぶよりも見える何かが、
落語をやってみることで見えてくるのではないかなあ。
普通に自己紹介する何倍もそいつがどういうやつかが、
わかった気になれる。んだ。

これは逆に言えば「素人が落語」をするから見えてくる
人間の彫刻みたいな、恰好をつければそんな言い回しもできるのじゃないだろうか。
実際の落語だって客が満足したかどうかは、
演じた本人の満足度と関係が無く、
笑ってくれた客の存在が、ごく一部の頼りという気がする。
(狂言やら歌舞伎やらでもテクニックや動きが冴えている若い時代よりもずいぶん枯れてからが良いとかいいますね)

荒削りだから、削り癖やら異常に研磨に凝るところ、折れた所をくっ付けるなどが見えてくる。
決して、プロに限ったことではないですが、型ばかりを消化させてしまうと、観てが素人だとなんだかよく解らなくなってしまう。

だから「よしやってみよう」と思った人がすぐさま座布団の上に座って話すのが、面白いのかもしれない。

と色々書いた自分は、今回出て、カッコつけたいのか何なのか、
やはり落語らしく成り立つことをつい欲っしてしまう。
実際の所、それはそれで意味のあることなのだろうが、
見ている方は勝手気ままにみているもので、
落語とか○○観賞とかそういうのを超えて、
そこで息をして座っているくらいなもの。
何を考えて何を見ているかすら実際のところはわからない。

「やりたくなっちゃった」を実現するのに
落語という舞台はなんと面白く答えてくれるのかと、
軽はずみであればある程、面白い気がしている。

見る方は、座布団に乗っているヒト類を覗いているにすぎないのだ。
演者と客、双方の衝動を円滑にしている油が落語なのかと思うと、何だか恐ろしく深いなあと思う。

で、もしかしたら本物の落語家もこんなこと考えているんじゃねえかと、
夢想したりもするのだ。

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福住廉連続企画「21世紀の限界芸術論」vol.5
飯田裕之「衝動の落語」展

会期 2009年10月16日(金)〜2009年10月31日(土)
時間 火・水・木 1300〜1900
    金・土   1700〜2100
休み 日・月
場所 ギャラリーマキ
    東京都中央区新川1-31-8ニックハイム茅場町402
    03-3297-0717
    http://www.gallery-maki.com/

行事 会期中の金・土、いずれも1800〜2100まで、
    「鶴屋一門のチンピラ落語」を催します。
    入場料500円+投げ銭制
    (食べ物と飲み物の持ち込み大歓迎)
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何も無いと描く

Live TV by Ustream
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わからないままに

スリがお金を配る。
http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2633383/4487179

馬が人に乗るとか、
教師が説教されるとか、
痴漢のプラトニックラブとか、
髭から顔が伸びるとか、
赤い牛乳とか、
生まれたての死相とか、

だんだんとひっくり返すつもりが、
実は逆もまた真なりではないのか、と思いたくなる境地、に至る前に、
その道に聞くと、

「ほんとうはさ、だいたい逆なんだよ。」

と言われて、
そういうもんなんだなと、
自分にうなずく。

どっちかわからないのが世の中だ。
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きょうみがでてくるこけし

さして興味がないというか、
目に入らないものというのがあります。

自分の目線とかまるで信じられないので、
そういうものの方を収集できたらよっぽど面白いと思うのだが、
だいたいそう簡単には行かない。

道を歩いていて、
大手町あたりのビジネス街で
サンマのオカシラがちょこんと落ちていたりすることがあるので、こういうのを記録しておいたらさぞや楽しいだろうとか、思ってしまうが、その無理矢理な「記録を撮るぞ」と言う気持ちに少しげんなりする。

なんとか家にかえって、ぐちゃぐちゃの洗濯物を畳んで、布団もさりげなく畳む(意識せずにやるのがポイントだ)。珍しくお茶でも飲もうかと小さな台所の乾物をしまっているあたりをガサゴソしていたら、
「あ。マキシプリーストって誰だっけ。」と。

いやこれは無理がある。
残念ながらこれは今考えたのだもの。

脳からこぼれるというか。
電気の漏電みたいでないと。

「山城新吾ってまだ生きてるか。」

弱気になりつつ、もう既に
シンゴって漢字あってるのか。
とかそういうことに気持ちは移っていて、
恥をかきたくないとかそんなのことが8割。

そんなわけで、目に映ってないものを思い出すのは、
難しい。

そこで、他人の興味に便乗するという作戦をとっています。
これはなかなか良い考えと思っています。

よしやっと、本文が書けます。


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